江戸の害虫防除書『除蝗録』に学ぶ 鯨油・払い落とし・夜の火とスマート防除の意外な共通点

江戸時代の害虫防除書『除蝗録(じょこうろく)』(大蔵永常、1826年)は、田んぼに鯨油を流してウンカを退治する方法を挿絵入りで解説した本です。「害虫が集まる場所と時間を見きわめ、そこだけを狙って手を打つ」という考え方は、約200年後の発生予察や総合防除(IPM)とそのまま重なります。株元を叩いて虫を落とす動作や、夜の灯りで虫を集める発想も、今の調査技術に形を変えて受け継がれています。

『除蝗録』はどんな本か

『除蝗録』は、豊後(現在の大分県)生まれの農学者・大蔵永常(1768年生まれ)が文政9年(1826年)に刊行した1冊本の農書です。書名の「蝗」はイナゴではなく、稲の汁を吸うウンカなどの害虫を広く指しています。

神戸大学附属図書館の解説によると、鯨油を田に注ぐ「注油駆除法」は筑前国(現在の福岡県)で見いだされた方法です。『除蝗録』はこれを図で説明し、版を重ねて全国に広めました。20年後の弘化3年(1846年)には『除蝗録後編』が出ており、鯨油が手に入らない場合の代用品として、芥子油、菜種油、桐油、石灰などを使う方法も紹介されています。同館は両書を「注油駆除法や農薬による害虫防除技術を初めて体系的にまとめたもの」と位置づけています。

永常が害虫対策に力を入れた背景には、江戸時代の飢饉があります。国立公文書館によると、享保17年(1732年)には天候不順にウンカなどの大規模な虫害が重なり、畿内以西が大凶作になりました。幕府が把握しただけで餓死者は1万2千人余り、200万人近い人が飢えに苦しんだとされます。当時の人々にとって、ウンカは命に関わる害虫でした。

祈りから技術へ:虫送りの図

本の前半「蝗とりの説」の項には、「蝗逐(むしおい)の図」という挿絵があります。村人が松明をかかげ、太鼓を打ち鳴らしながら田の畦を練り歩いています。各地で行われていた「虫送り」の行事です。本文では、村が総出で松明を燃やし、鉦や太鼓を鳴らして畦を巡る当時の習わしが紹介されています。

『除蝗録』の蝗逐の図。松明を掲げ太鼓を打ち鳴らして田の畦を練り歩く村人たち
出典:除蝗録(大蔵永常、1826年)(国立国会図書館デジタルコレクション)

甲南女子学園の解説も、この本が従来の虫送りの儀礼から当時最新の鯨油を使った除虫法まで扱っていると説明しています。本の構成をたどると、祈りや行事で虫を追い払う段階から、虫の習性を利用して物理的に駆除する段階へ、話が順に進んでいきます。

鯨油で油膜を張る「注油駆除法」の手順

本の中心は「田に油を入るる方」の項です。原典の記述を現代語で要約すると、手順はおおむね次のとおりです。

  • 作業するのは昼の四ツ時から八ツ時ごろ(今のおおよそ午前10時〜午後2時ごろ)で、日差しが強く、田の水が湯のように温まったときを選ぶ
  • 水口を止めて田の水が流れ出ないようにしてから、徳利に入れた油を蜆(しじみ)の貝殻ですくい、少しずつ水面に注ぐ
  • 油が水面一面に広がったら、竹で稲の葉を押し伏せるように払い、葉や茎についた虫を油の浮いた水面に落とす
『除蝗録』の挿絵。田に油を注ぎ、竹で稲を払って虫を水面に落とす農民たち
出典:除蝗録(大蔵永常、1826年)(国立国会図書館デジタルコレクション)

水面に落ちた虫は油にまみれて飛び立てなくなり、窒息します。油膜で物理的に動きを封じる方法で、殺虫成分は使いません。

続く項には、大勢で作業する方法も書かれています。数十人が横一列に並び、長さ二尺(約60cm)ほどの竹で稲株を叩きながら進み、虫を水中に払い落とします。翌日には油の浮いた古い水を落とし、新しい水を入れ替えるよう指示しています。散布して終わりにせず、油を田に残さない後始末まで手順に入っている点も特徴です。

『除蝗録』の挿絵。農民が並んで竹で稲株を叩き、虫を水面に払い落としている
出典:除蝗録(大蔵永常、1826年)(国立国会図書館デジタルコレクション)

夜の火で虫を集める「誘殺」の工夫

本の後半の「又方(別の方法)」の項には、夜に虫を集めて捕る方法が描かれています。夜の四ツ時(今のおおよそ午後10時ごろ)に田の畦で松明を焚き、竹で稲を揺すると、火の明かりに引き寄せられた虫が飛んできて落ち、死んでしまうという内容です。田の中に竹で編んだ籠形の篝(かがり)を立てる方法も、図で示されています。

『除蝗録』の挿絵。夜の田に竹の籠形の篝火を立て、明かりに集まる虫を捕る様子(長谷川雪旦画)
出典:除蝗録(大蔵永常、1826年)(国立国会図書館デジタルコレクション)

この挿絵には「東都 長谷川雪旦図」という署名があり、江戸の絵師が手がけたものとわかります。前半の虫送りでも松明が使われていましたが、ここでは火を、虫の走光性を利用する「誘引装置」として使っています。

今のウンカ対策と並べてみる

現代の水田でも、ウンカは重要害虫のままです。農林水産省植物防疫所の資料(2020年、農研機構九州沖縄農業研究センターの真田幸代氏が執筆)によると、トビイロウンカは日本では越冬できず、6月〜7月の梅雨期に南西風に乗って海外から飛来します。飛来数は少なくても、栽培期間中に3世代ほど増え、収穫間際に稲を枯らす「坪枯れ」を起こします。2013年には西日本全体で105億円の被害が報告され、2019年には注意報・警報が延べ35件と2000年以降で最多になりました。

同じ資料に書かれた現代の対策と『除蝗録』を比べると、次のような対応関係が見えてきます。

株元を叩く「払い落とし」は今も調査の基本

トビイロウンカは稲の株元で局所的に増えるため、畦際を見るだけでは見逃しやすいとされています。そこで現在は、粘着板を株元に置いて稲を叩き、落ちた虫を数える「払い落とし調査」が有効とされています。『除蝗録』で竹を使って株を叩き、油の水面に虫を落としていた動作と同じです。違いは、江戸時代は落とした虫を「殺す」ことが目的だったのに対し、今は「数える」ことが目的になった点です。

この調査は手間がかかるため、デジタル技術が使われています。農研機構は2022年1月、調査板の画像からイネウンカ類を自動で見分けて数えるAIを発表しました。ウンカ類の認識精度は90%以上、トビイロウンカは95%以上です。目視では調査板1枚あたり1時間以上かかることもあった作業が、3〜4分に短縮されたと報告されています。

夜の松明は予察灯に

明かりで虫を集める発想は、病害虫防除所などが水田近くに設置する予察灯に引き継がれています。現在の予察灯は駆除の道具ではなく、いつ飛来したかを知るための観測装置です。この誘殺データを飛来予測情報と組み合わせて飛来日を推定し、そこから有効積算温度を使って次世代の幼虫が出る時期(防除適期)を割り出します。

飛来予測そのものも進んでいます。農研機構は2004年、気象データを使ってウンカが日本のどこへ飛来するかを2日先まで予測するシステムを発表しました。2003年の評価で的中率は74%だったとされています。

「時間と場所を選ぶ」はIPMの考え方そのもの

『除蝗録』は、水が温まる昼の時間帯を選び、水口を止めて油を田にとどめ、翌日には水を入れ替えるよう指示していました。必要な時に、必要な場所だけ処理し、後に残さない。農林水産省が推進する総合防除(IPM)も、「予防」「判断」「防除」の3段階で、発生状況を見て防除が必要かどうかと適期を判断することを基本にしています。

今の圃場でこの考え方を実践するなら、まず見回りで発生状況を記録し、県やJAの防除暦と照らし合わせて散布の時期を決めるのが近道です。記録の付け方は病害虫の見回り記録の書き方、防除暦の使い方は防除暦の作り方と読み方で解説しています。

一方で、『除蝗録』の時代にはなかった課題もあります。前述の植物防疫所資料では、ウンカ類が種ごとに異なる薬剤への抵抗性を発達させているため、同じ作期に同じ系統(RACコード)の薬剤をなるべく続けて使わないよう注意を呼びかけています。永常が鯨油の代わりに複数の油や石灰を紹介したことは、手段を一つに頼らないという点で、今の薬剤ローテーションにも通じます。

今のトビイロウンカ対策を国際機関がどう整理しているかは、FAOのIPMガイドを日本向けに読むで紹介しています。

まとめ:200年前の農書から学べること

  • 害虫は「いる場所」と「動く時間」を押さえれば効率よく対処できる。永常の昼の注油と夜の誘殺は、虫の行動に合わせた作業設計だった
  • 株元を叩いて虫を落とす動作は、今も払い落とし調査として残り、AIによる自動カウントでさらに効率化されている
  • 明かりで虫を集める発想は、駆除から観測(予察灯)へ役割を変え、飛来予測や防除適期の推定に使われている
  • 処理した後の水を入れ替える、代わりの資材を用意するなど、環境への配慮や手段の分散まで手順に含めていた

鯨油を田に流す方法自体は、今そのまま使えるものではありません。それでも、観察にもとづいて「いつ・どこで・どう処理するか」を決めるという『除蝗録』の考え方は、スマート防除の土台としても十分に通用します。国立国会図書館デジタルコレクションでは原本の全ページを無料で閲覧できるので、挿絵だけでもぜひ一度見てみてください。

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