Wild Bioscience:野生植物の遺伝子をAI解析し気候変動に強い作物を育てる英オックスフォード発スタートアップ

野生植物は、数億年にわたる進化のなかで干ばつや高温といった過酷な環境を生き抜く遺伝的な仕組みを獲得してきました。英国・オックスフォード大学発のスタートアップ「Wild Bioscience(ワイルド・バイオサイエンス)」は、この野生植物のゲノムをAIで解析し、有用な形質を主要作物へ精密育種で移し替える事業に取り組んでいます。2025年10月には6000万ドル(約4500万ポンド)規模のシリーズAを調達し、気候変動下での作物の強靭さと収量向上を目指す「AI作物育種」の代表的プレイヤーとして注目を集めています。

会社基本情報

Wild Bioscience(正式名称:Wild Bioscience Ltd、通称Wild Bio)は、オックスフォード大学のスピンアウト企業として2021年に設立されました。本社は英国オックスフォードに置かれています。共同創業者は、最高経営責任者(CEO)を務めるロス・ヘンドロン(Dr. Ross Hendron)博士と、最高科学責任者(CSO)でオックスフォード大学植物科学教授のスティーブ・ケリー(Prof. Steve Kelly)です。ヘンドロンCEOは、ケリー教授の研究室で植物進化の研究に従事するなかで、本事業の中核となる「野生植物の進化に学ぶ作物設計」という発想を得たとされています。

従業員数は調達発表時点でオックスフォード本社に約30名規模とされています。両創業者はいずれも進化生物学を専門とする研究者であり、学術研究を出発点とするディープテック型の企業です。

事業概要

Wild Bioscienceは、機械学習を用いて野生植物のゲノムを解析し、環境ストレスへの適応にかかわる有用な遺伝的形質を特定したうえで、それらをコムギ・ダイズ・トウモロコシといった主要作物に精密育種(プレシジョン・ブリーディング)で実装することを事業の柱としています。同社は自社の手法を、進化のシミュレーションにもとづいて作物の遺伝的な仕組みを解析する「進化型AIプラットフォーム」と位置づけています。

同社が重点を置く形質は、以下のとおりです。

  • 光合成効率の向上:同社の旗艦的な技術領域であり、従来の育種・バイオ技術では実現が難しかった複雑な形質です。
  • 干ばつ耐性(ドラウト・レジリエンス):高温・乾燥といった環境ストレス下での強靭さを高めるプログラムです。
  • 土壌への炭素貯留(カーボン・シーケストレーション):作物を通じた炭素固定の強化を狙う取り組みです。

対象作物は、コムギ・ダイズ・トウモロコシといった世界的に広く栽培される畑作物(ロウクロップ)が中心ですが、同社はプラットフォーム自体が特定の作物に限定されるものではないとしています。

課題と解決策

従来の作物育種は、有望な系統を選抜し、世代を重ねて固定するまでに長い年月を要します。とりわけ光合成効率の向上は、多数の遺伝子が複雑に関与するため、交配を中心とした古典育種でも、単一の遺伝子を導入する従来型の遺伝子組換えでも実現が難しい形質とされてきました。一方で、気候変動による高温・干ばつの常態化は、こうした強靭さを備えた品種の開発を急務にしています。世界の食料需要を満たすには、今後25年で作物生産を50%増やす必要があるとも指摘されています。

Wild Bioscienceの解決策は、ゼロから新しい遺伝子を設計するのではなく、野生植物が数億年の進化のなかで「すでに獲得している」解を探し出し、それを作物に移すという発想にあります。同社のAIは、植物ゲノムに記録された進化の蓄積を解析し、収量や強靭さに寄与する遺伝的な仕組みを見つけ出します。ヘンドロンCEOによれば、目的の遺伝子はすでに作物のゲノム内に存在しながら「誤った場所でしか働いていない」場合があり、その遺伝子を必要な組織で適切に「オンにする」ことで形質を引き出せるといいます。形質の実装にはCRISPRなどのゲノム編集・精密育種技術が用いられます。

象徴的な成果が、C4光合成にかかわる遺伝子の活用です。C4光合成はトウモロコシやキビ(ミレット)などにみられる高効率な光合成経路であり、同社はトウモロコシに由来するこの仕組みにかかわる遺伝子をコムギで働かせる取り組みを進めてきました。初期の実験では、光合成効率の改善により生育や種子生産で20%を超える向上がみられたと報告されています。

ビジネスモデル

Wild Bioscienceは、自ら最終製品となる種子を農家へ直接販売するのではなく、開発した有用形質をシードカンパニー(種子企業)に供与・ライセンスし、各社のエリート品種に組み込んで市場に届けるモデルを志向しています。とりわけ南北アメリカの畑作物プロバイダーとの連携を重視しており、形質を種子そのものに「載せる」ことで、農場の設備や栽培方式を問わず農家が利用できる点を強みとしています。

この方針を具体化する動きとして、2026年1月には、米ノースカロライナ州を拠点とし大手種子企業GDMの支援を受ける「The Traits Company」とのダイズ分野での提携が公表されました。Wild BioscienceのAIによる形質設計と、The Traits Companyのエリート遺伝資源や製品開発パイプライン、GDMを通じたグローバルな販路を組み合わせ、差別化されたダイズ品種の開発を加速する狙いです。The Traits Companyのファヤズ・カジCEO(Dr. Fayaz Khazi)は、両社で「先進技術とエリート遺伝資源を組み合わせ、真に差別化されたダイズ品種を生み出すことに注力している」とコメントしています。

今後の計画

同社は2021年の設立時に、オックスフォード・サイエンス・エンタープライゼス(OSE)やBraavos Capital、英Innovate UKの資金などからおよそ1200万ポンドのシード資金を得ていました。そして2025年10月、ラリー・エリソン氏が関与するエリソン工科大学(Ellison Institute of Technology:EIT)が主導するシリーズAで6000万ドル(約4500万ポンド)を調達したことを発表しました。このラウンドには、既存投資家であるOSE、Braavos Capital、オックスフォード大学が参加しています。EITとOSEがベンチャー投資で協調するのは今回が初めてとされ、オックスフォードのイノベーション・エコシステムにとっても象徴的な案件と位置づけられています。

EITを主導するラリー・エリソン氏は「Wild Bioは、植物ゲノムに刻まれた数百万年の進化の教訓を、AIを使ってより深く理解している。その知見と精密育種を組み合わせることで、より高い収量と気候変動への強靭さを兼ね備えた新しい品種の開発が可能になっている」と述べています。

調達した資金は、研究開発の拡大、圃場(ほじょう)試験のさらなる展開、人員の増強、そして初期の圃場での成果を市場投入可能な種子へとつなげる商業化の推進に充てられます。同社の主力作物プロジェクトはすでに英国・ブラジル・アルゼンチン・米国の4か国で圃場試験段階に入り、収量関連の指標で二桁(ダブルディジット)の改善がみられたと報告されています。一方でヘンドロンCEOは「1年がかりの圃場試験を圧縮することはできない」と述べており、実用品種の市場投入には相応の時間を要する見通しです。

コメント

AIと生物学を組み合わせた作物育種の領域では、ゲノム編集を担う米Pairwiseや、シミュレーションで育種を加速する取り組みなど、複数のプレイヤーがしのぎを削っています。そのなかでWild Bioscienceの特徴は、合成生物学的に新規遺伝子を作り込むのではなく、野生植物がすでに進化のなかで獲得した「実在する解」を探索の対象とする点にあります。作物ゲノム内に眠る遺伝子を適切な場所で働かせるという発想は、リスクの読みづらい新規形質の創出よりも、実装可能性の面で説明しやすいアプローチといえるでしょう。光合成効率という、長年にわたり育種家が攻めあぐねてきた複雑形質に正面から挑んでいる点も注目されます。

背景には、気候変動下での食料安全保障という世界共通の課題があります。高温・干ばつへの強靭さと収量を両立する品種は、生産が不安定化しつつある主要穀倉地帯にとって価値が大きく、ライセンス供与を通じて既存の種子流通網に形質を載せるビジネスモデルは、普及までの道のりを現実的なものにしています。

日本農業にとっても、この動きは示唆に富みます。猛暑によるコメの白未熟粒(しろみじゅくりゅう)や品質低下が深刻化するなか、高温耐性をはじめとする強靭さの形質をいかに既存品種へ実装するかは大きなテーマです。野生種・在来種に蓄積された遺伝資源をAIで読み解くという方法論は、国内の育種研究や遺伝資源バンクの活用とも親和性が高いといえます。ゲノム編集作物の社会的受容や規制の枠組みといった論点はあるものの、Wild Bioscienceの取り組みは、気候変動時代の品種開発を考えるうえで一つの参照点となるでしょう。

参考URL

  • Oxford Spinout Wild Bioscience Raises $60M Series A to Advance Global Crop Resilience(AgTech News) リンク
  • Wild Bio raises $60m to supercharge photosynthesis with AI-powered precision breeding(AgTech Navigator) リンク
  • EIT leads investment in Wild Bioscience to boost global agricultural resilience(Ellison Institute of Technology) リンク
  • OSE and Ellison Institute of Technology make first co-investment in $60m Series A for Wild Bioscience(Oxford Science Enterprises) リンク
  • Wild Bio and The Traits Company join forces to accelerate next-gen soybean development(AgTech Navigator) リンク
  • Wild Bioscience: transforming agriculture through innovation(Oxford University Innovation) リンク
  • Wild Bioscience 公式サイト リンク